世界遺産の勝連城跡!入場料や営業時間、魅力や歴史を紹介

歴史・パワースポット

琉球王国、そして3つの小国に分かれていた歴史を持つ沖縄県。その名残は今も城跡として県内各地に残っています。沖縄の綺麗な景色を楽しみつつ、歴史を学ぶことができる城跡は沖縄観光にぴったりです。

今回紹介するのはうるま市にある勝連城跡(かつれんじょうせき)。沖縄の歴史上の人物の中でも特に名が知られている按司、阿麻和利(あまわり)が拠点としていた城です。

今回は人気観光地、世界遺産勝連城跡の入場料金営業時間、また見どころ歴史についてまでご紹介していきます。

勝連城跡【基本情報】

勝連城跡写真
撮影:筆者

【営業時間】9:00~18:00
【料金】高校生以上:600円 中学生以下:400円 6歳未満無料 ※常設展の閲覧含む
(20名以上の団体利用なら高校生以上480円、中学生以下320円)
【休業日】年中無休
【電話番号】098-978-2033
【住所】〒904-2311 沖縄県うるま市勝連南風原3807-2
【アクセス】今帰仁村字泊今帰仁城趾入口バス停より徒歩15分
【駐車場】有

【勝連城跡周辺のオススメスポット】
・シルミチュー
・鍾乳洞CAVE OKINAWA
・東南植物楽園

勝連城跡とは

勝連城跡とは沖縄県内で特に知られている城跡で、沖縄中部のうるま市に位置します。国の史跡、また世界遺産にも登録されている人気の観光地です。

標高90m前後の丘陵に建てられており、頂上に足を進めると遠くまで広がる沖縄の青く輝く海を一望することができます。また高い位置にあることで、下の道路からも城跡の全貌を目に収めることができるのもポイントです。高低差がある地にもかかわらず、石垣を曲線状に繋げた外壁が堂々と建っている姿は、圧巻の景色でしょう。

筆者
筆者

街中に突如現れる高い石の壁は、まるで琉球時代の景色を切り取って張り付けたようでかっこよかったです。当時力をつけていた城主阿麻和利(あまわり)が拠点にするに相応しい、立派な城構えだと感じました!

勝連城跡の歴史

勝連城跡の正確な歴史が残されているのは14世紀初頭からのものです。一方で12世紀には既に築城されていたことが分かっており、沖縄の城の中で最も古い歴史を持つ城となります。

勝連城跡の城主だった阿麻和利といえば、彼とその周辺人物の関係性や物語も話題です。

勝連城跡写真
撮影:筆者

「反逆者」「偉業を成し遂げた領主」2つの顔を持つ阿麻和利

阿麻和利(あまわり)は、沖縄の歴史上人物の中でも特に知られている名と言っても過言ではないでしょう。勝連城最後の城主である阿麻和利は、悪政を行っていた九代目城主茂知附(もちづき)按司の家臣でした。主を討ち取り十代目城主となってからは、海の傍という地の利を生かして東アジアとの貿易を活性化し、経済力軍事力を強化、按司としての阿麻和利の力は勢いを増していきます。

1458年、阿麻和利は首里城を滅ぼして王府を討ち取ることを目論んでいましたが、作戦が知られてしまい武将越来賢雄(ごえく けんゆう)率いる王府の軍により攻められ死を迎えました。同時に、勝連城も廃城となります。

琉球王府に逆らった反逆者として歴史に名を刻む阿麻和利ですが、最近では彼に対しての見解が変わってきています。阿麻和利は地域を活性化させた名君として、実際は人々にとても慕われていたとの研究が進んでいるのです。貿易を盛んに行っていたことで経済力も軍事力も蓄えていった彼を王府はかなり恐れていて、そんな彼を排除するために乱を起こしたのではないかと言われています。

沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」では、当時の勝連は本土の鎌倉や京都のように栄えており、それを成し遂げた阿麻和利は「千年もこの勝連をおさめよ、勝連の高き王」と称えられています。

筆者
筆者

沖縄で生まれ育った私も、高校生くらいまで悪い人だと思っていました(笑)

勝連城跡散策の流れ

観光のために整備された坂道を登りきると、勝連城跡の目下に広がる四の曲輪にあたります。そこには当時使用されていたと思われる井戸の跡が4カ所あります。

井戸自体は形として残ってはいませんが、当時城に仕えていた人達が生活する上で重要な生活用水だったと思うと、とても感慨深いですよね。城の主だった按司やその家族、また家臣や使用人が実際に使用していた光景を、その場で想像してみましょう。

筆者
筆者

四の曲輪に大きな観光ポイントはありませんが、広い原っぱに青い海と空がとても気持ちよかったですよ。私と友人達は、ここで既にはしゃいでしまいました!

勝連城跡写真
撮影:筆者

三の曲輪

石畳になっている道を上りきると、まずは三の曲輪が広がります。三の曲輪は、当時儀式などが行われていたいわゆる広場のような役割をしていたと言われる場所です。城に仕えた人達が集合していたり、誰かに指示を仰いでいる様子が当時は日常的に見られたでしょう。

ここは勝連城跡を大きくエリア分けした時に一番低い位置となりますが、それでも十分綺麗な景色を見渡すことができます。丁度夕日が沈むタイミングであれば、広い沖縄の海に赤く反射する夕日が圧巻の景色です。

勝連城跡写真
撮影:筆者

二の曲輪

二の曲輪には、勝連城の中でも特に重要な役割を果たす建物が建っていました。正面約17m、奥行き約14.5m程の社殿で、城のメインとなる部分がここにあったとされています。

二の曲輪には火の神が祀られたウミチムンや、王府に攻められた際に阿麻和利が逃亡に利用したとされるウシヌジガマといったといった跡地もあり、現在も拝所として扱われています。

勝連城跡写真
撮影:筆者

一の曲輪

標高100mに位置する一の曲輪は、勝連城の中で最も高い部分にあたります。貴重品などを保管する、倉庫のような建物が建っていたのではないかと言われています。発掘調査により出土した物には、海外との貿易により手にしていたであろう品々も見つかりました。

二の曲輪から一の曲輪に上がる階段には、ある戦術的工夫が施されています。敵が攻めてきた時に大勢で攻めづらいよう、階段の横幅を徐々に細くしていき足元の段差も狭くされているのです。実際に歩いてみると、今でも足元が不安定に感じます。当時城を守っていた人達の、誰も踏み入れさせないという強い意思を感じますよね。

筆者
筆者

実際に階段を上ってみてすぐに工夫に気付きました!ちょっとした工夫だと思うかもしれませんが、本当に上りづらく感じたので、当時の効果も抜群だったと思います。

勝連城跡写真
撮影:筆者

あまわりパーク

勝連城跡の駐車場に隣接されるように建っているのが、あまわりパークです。

ここのメイン施設となるのは、歴史文化施設いわゆる資料館になります。中は常設展示室と企画展示室に分かれていて、琉球から沖縄へと移り変わっていく時代の中での勝連の在り方、また阿麻和利や護佐丸についての資料が多く展示されています。

施設真ん中にあるライブシアターで上映されている阿麻和利物語はチェック必須で、躍動感のある演技と音楽で勝連の歴史を楽しく学ぶことができます。

資料館で勝連そして阿麻和利について事前に詳しく学ぶことで、勝連城跡の散策がより楽しめるでしょう。

筆者
筆者

凄く興味深い展示ばかりでした!1時間は確保していたのですが、個人的には1つ1つ目を通していると全然時間が足りなかったです!興味がある人はぜひ時間に余裕を持っておくと良いですよ。

まとめ

この記事では沖縄の観光地、世界遺産勝連城跡についてご紹介していきました。

阿麻和利といえばかなりの暴君だったと知られる沖縄の武将ですが、実は村の人々にとっては偉大な存在だったという説が近年有力になっています。そのため勝連と阿麻和利についてもっと広めていこうという運動がうるま市をあげて盛んに行われていて、今では勝連の英雄と言っても良い存在です。そんな彼が確かに過ごしていた勝連城、地元の人達にとってとても神聖な場所として守られています。観光で訪れる際はルールを守って安全に、勝連城の歴史と姿を楽しみましょう

コメント

タイトルとURLをコピーしました